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岡山家庭裁判所玉野出張所 昭和52年(家)24号 審判 1977年11月10日

主文

一  被相続人(亡)山村重吉、同(亡)山村小枝の遺産を次のとおり分割する。

(一)  別紙第二物件目録5の土地の二分の一の持分権及び6の土地は申立人山村俊彦の取得とする。

(二)  同上第一物件目録6、7、同第二物件目録7、8の各土地及び5の土地の二分の一の持分権は申立人高井礼子の取得とする。

(三)  同上第一物件目録4、5、同第二物件目録4の各土地及び3の土地の二分の一の持分権は申立人吉川良子の取得とする。

(四)  同上第一物件目録1、2、3、同第二物件目録1、2の各土地及び3の土地の二分の一の持分権は相手方三沢千代子の取得とする。

(五)  相手方三沢千代子に対して、申立人山村俊彦は金一九万三、五〇〇円を、申立人高井礼子は金三万九、四〇〇円を、申立人吉川良子は金五万一、六〇〇円及びそれぞれこれに対する本審判確定の翌日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  手続費用は各自の負担とする。

理由

申立人らは被相続人(亡)山村重吉、同(亡)山村小枝の遺産分割を求めた。

家庭裁判所(主任)調査官田村政文の調査報告書、本件記録にあらわれている諸資料によると次の事実が認められる。

一  被相続人らと相続人

被相続人山村重吉(明治二七年二月一八日生)は戦前○○○○○○○○の工員をし、戦後退職後○○××××番地(現在相手方純一の肩書地)において配偶者たる被相続人亡小枝とともに農地約五、六反を耕作し農業を営んでいたが老衰により昭和四六年一二月二七日に死亡して、同日その相続が開始し、次いで相続人の一人で、配偶者でもある被相続人山村小枝(明治三一年七月三〇日生)も中風で倒れ足腰不自由のうちに昭和五一年八月一一日に世を去り、同日その相続が開始した。

相続人は被相続人間の長男である申立人俊彦(現在六一歳)、長女の申立人礼子(五九歳)、二女申立人良子(五七歳)、三女相手方千代子(五一歳)、そして二男相手方純一(四八歳)の五名である。

格別の遺言をしていないのでその相続分は各五分の一宛である。(本件では重吉の相続が先づ開始し、その相続人間に分割ができないでいるうちに、相続人の一人たる小枝が死亡して更に相続が開始したので当裁判所が遺産中いかなる物件を、どの割合で何人に取得させるかの審理決定にあたつては厳密には配偶者亡小枝について右一次分割の結果の取得分を先づ決定し、次いでその分を同人所有の遺産に合わせたものについて二次分割を行なうこととなるが、しかし右の方法をもし採つたとしてもその余の各人の窮局の取得割合は不変であるし殊に、本件申立の全趣旨や調停の経過等からみて当事者らは、両親についての開始時期のずれにも拘わらず双方の遺産について一括分割を求めている趣旨であることが窺われるので、当事者間の衡平を失しないよう配慮しつつ便宜一括して判断することとする。)

二  遺産及び特別受益

遺産は別紙第一、第二目録各記載のとおりであり、その相続開始当時の評価額は、調査官田村政文の調査報告中の各不動産の昭和五二年度課税評価額、又本件不動産の所在地、配置並びに実状殊に現地は旧郡部の山峡地とはいえ一つの平坦地を形成し、市道に面し定期バス停留所に通ずるに便であるところから、漸次開発されて昭和四八年のオイルショック以前既に宅地化が著るしく進み付近の土地売買が活発に行なわれ(市街化区域に該当し、農地の転用は自由であることもこれに拍車をかけ)ていたこと、同報告書中申立人俊彦、相手方純一ならびに参考人司法書士平井武彦の各供述内容等を綜合すれば、低く控え目に見積もるも(同人ら関係者全員の見解を最大公約数的に判定しても)、相続開始(なおこの相続開始とは前に説明した如く、その後の実質上の移転はなく、以下のとおり主として生前贈与、特別受益の評価に符節を合わさんためのものであるので第一次を指す)時に、宅地及び市道沿いの農地で坪二万円、農道沿いで一万五、〇〇〇円とするときは八五五万二、六〇〇円であり、昭和五二年七月現在(調査時)における価額は宅地及び市道沿い農地で坪三万円、農道沿いで二万円として一、二〇二万〇、九〇〇円である。(以上内訳は別紙第一、第二物件目録各該当欄のとおり)

申立人らは亡小枝の生前これ以外の農地を手放した貯金があり、これを相手方千代子が受け取り保管していると主張しているが、これを認めるに足る証拠がないし同相手方が小枝の病床にずつと付添いその看護にあたつた折り費用として故人より交付された金員の如きは、交付の時期、その金額等から病人の身の廻りの世話、医療費等諸雑費に概ね充てられたと見られ、遺産に計上しないのが相当である。

そうすると本件遺産分割の対象となる遺産の評価額(分割に接着した昭和五二年七月とおりと見て差支えない)は別紙第一、第二物件目録記載の土地合計金一、二〇二万一、〇〇〇円(千円以下略)である。

そこで相続人中、民法九〇三条に定める特別受益者の有無について調べるに田村調査官の調査報告書並びに同添付の資料によれば相手方山村純一は、長男たる申立人俊彦が被相続人らと折合いを悪くし家を出てからのちは、それに代る俗にいう跡取りとなり親に見込まれて被相続人と同居して引続き今日に至つてきた経緯もあつて死期迫つた昭和四六年九月ころ、その家屋敷を重吉より贈与されその所有権移転登記を経由している。従つて同物件即ち××××番一宅地四七六・〇三平方メートル及び同所家屋番号一〇八番、木造瓦葺平家建居宅床面積一〇〇・八二平方メートルほか付属建物は同相手方の特別受益に該当し、そしてその相続開始時における評価額は前顕評価基準に照らし宅地二八八万円、居宅については少くとも三〇万円を下らないものと判断される。(この点につき申立人俊彦は該居宅は昭和一五年頃の建築であると主張しているのに対し相手方純一はそれより遙か以前の昭和初年古材を寄せての建造にかかり既に無価値である旨反論し、その真偽の程は不明であるが、現に同相手方の家族七人において住居に使用中である以上、無価値ではあり得ず、加えられた造作の蓄積等をも考慮すれば右評価とするのが相当である。尤も同相手方の特別受益額は宅地価額のみでも既に後記相続開始時における遺産中の同人の相続分を超えるのであつて、家屋の評価を相手方の主張どおり零と見ても結論には何ら影響を及ぼすものではなく、これ以上議論する実益もない。)

次に登記簿によると申立人俊彦は字○○××××-×田四七九平方メートルを昭和四五年一〇月被相続人小枝よりの贈与を原因とする所有権移転登記を経ていること、同申立人はそれを宅地に地目変更した上当時一部七〇坪を分筆して他に売却換金してそれを資金として残る同地上(××××-×宅地二四七・九一平方メートル)に居宅三〇坪を新築して現に居住している。

この点につき同申立人は実際には小枝から貰つたもので登記原因を贈与としたのは税金対策のためといい手続の依頼を受けた司法書士平井武彦の供述もこれを裏書きしている。しかしその具体的代金額決定の事情をみると、被相続人小枝が俊彦に右土地を与えんとしたところ被相続人重吉が同土地は良い(価値のある)物件だからやるわけには行かない旨贈与に反対したため贈与が実現しなかつたものの、同申立人としてはそれ迄勤めていた会社(○○○○○を定年退職し、多年の社宅住まいから戻り、住居を深し求めていたところから、再三懇願の末被相続人も遂に折れ但し重吉が次善の土地としてやつてもよいという当時話に出た代替地別表一の番号4田一七五平方メートル、及び同二の番号4田一七八平方メートル二筆の値段を実価より差引控除した金一〇〇万の代金で売つてやることに話が成立したが、申立人はその内金八〇万円を支払つたのみでその余は支払わないでいることも認められる。

以上の諸事実を綜合した場合、支払われた売買代金額を超える部分の譲渡は親子の情愛に基づくもので正に生計の資本としての特別受益に該当するといわねばならない。

そしてその評価額は、これ又前示基準に従い(坪換算一四四・九坪として二八九万八、〇〇〇円が物件の評価額であり、これより支払われた代金内金を控除した二〇九万八、〇〇〇円が同申立人の特別受益の価額となる。

そして以上を除いては他の相続人についてはいずれも生前贈与その他特別の利益を受けたと認められるものはない。(娘三人共被相続人から特別の婚資をして貰つていない旨述べている。)

三  各相続人の具体的相続分

そこで民法九〇三条一、二項に従い特別受益者を含む各人の具体的相続分を算定するに、相続開始当時における遺産総額は八五五万二、六〇〇円であるところこれに前示特別受益額を加えると名目上の遺産総額は一、三八三万〇、六〇〇円となり、相手方山村純一の相続分はその五分の一=二七六万六、一〇〇円であるから、その特別受益三一八万円はこれを超過し(△四一万三、九〇〇)、同相手方の具体的相続分は零となる。申立人山村俊彦の相続分もそれと同額であるがその特別受益は二〇九万八、〇〇〇円であり六六万八、一〇〇円不足するから、右額を相続することができる。以上を除く以外の相続人三名については具体的相続分は各五分の一=二七六万六、一〇〇円である。

つぎに以上から申立人俊彦、同高井礼子、同吉川良子、相手方三沢千代子が審判時における遺産総額の配分を受けるべき比率を算定すれば申立人俊彦が〇・〇七四五〇、その余の相続人三名がいずれも〇・三〇八四九(小数点六位以下切捨)となる。

四  分割についての当裁判所の判断

審判時における遺産総額は一、二〇二万一、〇〇〇円(一、〇〇〇円未満四捨五入)で、この総額を前示具体的相続分を基礎とする配分比率に従い配分すると配分額は申立人俊彦八九万五、五〇〇円、その余の相続人(但し相手方純一を除く)三名各三七〇万八、五〇〇円となる。

この配分額を基準とし民法九〇六条の趣旨に則り本件に顕われた各人の生活状態、職業、身分遺産の位置関係、従前の使用状況等一切を考慮し主文のとおり遺産の分割をなすべきものとする。(なお以上による具体的相続分を超えて取得する価額分を、これに不足する相手方三沢千代子に対し調整金として支払わせる。)

調査官の調査結果によれば申立人俊彦を初めとする申立人ら三名は、敢て各人毎に分配すること迄求めず、利害が対立関係にある相手方二名との間における包括的分配を求めれば足るのであつて三名の共有を希望し、一方相手方三沢千代子もこれに反発する立場から精神的満足を得れば足り対立当事者間での概括的分配を望む如くであるが、複数相続人間における、而も斯かる概括的共有の方法は、そもそも遺産分割審判の本旨に戻り、紛争の抜本的解決に奉仕せず、徒らに憂いを将来に持起すおそれなしとせず、よつて当裁判所は各人の立場、利益を能うる限り忖度、尊重し且つ申立人、相手方両グループ間の全体的均衡を失せざる如くし利益を同じくする者間での交換、融通を一部期待して主文の如く各人毎の取得を定めた次第である。

よつて主文のとおり審判する。

物件目録<省略>

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